『ブラジル修行日記』その八拾壱\(^o^)/

レアンドロ ヴィエイラ

11月も今日で最後、ギリギリセーフで『ブラジル修行日記』2007年11月行ってみましょう

ブラジルで仕事を始める

この月からついにブラジルで仕事を始めました
2003年の7月にブラジルに来てから、道場に住んで内弟子したり、スポンサーの社長さんたちから毎月、お金をもらって柔術だけやって生活していましたが、だんだん試合でも勝てなくなり、柔術一本で生活するのが精神的にしんどくなっていきました
そしてこの月から昼間は朝8時から夜6時まで仕事をして、そのあと道場で一般会員さん達と練習するという生活に変わりました
この時の所属チームはレオジーニョ率いるBRASAでした
私は仕事を始めてしまったので、選手が参加する昼練には行けなくなりました
アンドレもこの時期、昼練に行かなくなっていたと思います
レオジーニョと揉めいました
BRASAに移籍して来た頃はレオジーニョのことを絶賛していたのに、、、ブラジル人あるあるですねw
後にアンドレとこの当時、何があったのか?ゆっくり話す機会があったので、聞いてみたらこんな感じでした

アンドレとレオジーニョの確執

まず一つは5月のADCCの時にセコンドについてくれなかったのが不満
もう一つはレオジーニョはセミナーで世界中を飛び回っているので、昼練の時、不在のことがよくありました
そんな時、昼練の指導の指揮をレオジーニョに代わって取るのが、アンドレでした
本来なら、レオジーニョの直系の黒帯であるホベルチ・ドライスデールやルーカス・レイチがレオに代わって指揮を取るべきなのに、彼らはアンドレに指導を任せます
アンドレは後からBRASAに来た言って見れば、外様です
私もそばから見ていていつもなんで、ルーカスやホベルチがもっとリーダーシップを出さないのかな~、、、情けないな~、、、と思って見ていました
あんたらレオの直系の黒帯だろ
なのになんで外様のアンドレに指導させるかなーと思っていました
さらに、アンドレは指導させられているのに、当時のBRASAの練習場所はスポーツクラブの中だったので、中に入る時に月謝を払わないと入れません
よくアンドレが入り口のところでスポーツクラブの人と揉めているのを目にしました
私からしたら、レオがなんでそのへん『彼は自分がいない時に指導してくれているから、タダで入れてくれ』みたいな話をしておかないのかなと、、、
そんなこんなで、アンドレはBRASAの昼練に行かなくなり、夜、自分の道場で指導とこの時期からMMAの練習も始めてました
そして、レオから気持ちが離れて行って結果的にATOSが誕生することになりました

レアンドリーニョの夜クラス

私の方は仕事をしつつ、夜はBRASAの夜のクラスに行っていました
夜の6時に仕事が終わって、30分くらい歩いて道場まで行きます
夜のクラスはレオの弟のレアンドロ(ヴィエイラ3兄弟の三男)が担当していました
レアンドロはレオジーニョ、ヒカルジーニョに比べると大会での成績は残していませんが指導者として優秀です
夜のクラスは昼の選手練とは参加者も全く違って、60歳くらいのドナ・マリア(マリア夫人)というおばあちゃんが参加していたり、高校生の男の子たちや20代のメルヘン系の女の子がいました
練習内容もほとんどが白帯なので、色帯の人は片手を帯の中に入れて片手だけを使ってスパーとかゲーム性の高いものが多かったです
たまによくやっていたのが、みんなで輪になって座り、一人ずつ自己紹介して行きます
その時に名前だけじゃなく、毎回テーマを決めて、好きな映画とか好きな食べ物とか好きなサッカーチームを一人ずつ言って行きます
レアンドリーニョはひょうきんな人でクラスはいつも笑いが絶えませんでした
こんな感じでゆる〜く柔術してました
今までのピリピリした選手練とは違い新鮮でした
クラスは月曜から金曜までで土日は休みでしたが、私も仕事が土日休みだったので、レアンドリーニョに土曜日の午前中に個人レッスンしてもらっていました
柔術を教えてもらう代わりに私がレアンドリーニョに日本語を教えるというw
レアンドリーニョは一生懸命ひらがなを書くのを覚えてました
私はレアンドリーニョからパスガードをよく教わりました
懐かしい思い出です
本当によくしてもらいました
チームは別々になってしまいましたが、、、
現在レアンドリーニョはアメリカに移住して柔術教えているみたいです
アメリカで成功しているみたいで嬉しいです
続く
(写真は当時のではなく、比較的最近のレアンドリーニョ)

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