『ブラジル修行日記』その七十七*\(^o^)/*

ブラジリアン柔術 MUNDIAL

最近、初めてお会いする柔術家の方や出稽古に来た方に『ブラジル修行日記』見てます!と言われます
そろそろネタもつき気味ですが、頑張って記憶を掘り起こして更新していきます
それでは『ブラジル修行日記』2007年の7月行ってみましょう

CBJJEのムンジアル

先月、新たに設立された連盟CBJJEがサンパウロでムンジアル(世界選手権)を開催することになりました
この年、今までずっとリオデジャネイロでムンジアルを開催していたCBJJ(現IBJJF)が今年はアメリカのロサンゼルスで8月に開催することを決定しました
道場のブラジル人の間では、アメリカまで行く金なんかあるわけないじゃん、、、
今年はCBJJのムンジアル出れないから、新しい連盟のムンジアルに出ようって感じでした
アンドレのような黒帯の有名選手ならスポンサーもいるので、アメリカまで試合に行くことはできますが、色帯のスポンサーもいない選手ではアメリカまでの渡航費用がありません
結果として、この年のCBJJEのムンジアルの参加者は多く、レベルは高かったです
色帯に関していえば、確実に本家CBJJのムンジアルよりレベルは高かったと思います
大会は7月の27,28,29の三日間に渡ってサンパウロ市内のイビラプエラ体育館で開催されました
昨年2016年、ブラジルで開催されたADCCが行われたのと同じ場所です
IBJJFは賞金は一切出ませんが、新団体CBJJEのムンジアルの黒帯の部には賞金も出されました
イビラプエラ体育館はイビラプエラ公園という大きな公園の中に体育館やアリーナやプールや柔道場などのスポーツ施設があり、その一角にあります
体育館自体は古くて結構、老朽化が進んでいます
アリーナの方は広くて観客席も快適なんですが、体育館の方は古くて汚いです
ブラジリアン柔術 CBJJEムンジアル
そして、すごく寒かったのを覚えています
7月のブラジルは南半球なので真冬です
ブラジルというと南国のイメージがあると思いますが、標高800mの山の上にあるサンパウロの冬は結構寒いです
アップスペースでドウギの上にダウンジャケットを着てフードを被ってアップしていた記憶があります
というかアップスペースに行くと周りのブラジル人選手がみんなその格好をしていたので、私も真似しましたw

ルーカス・レプリが初世界制覇

大会は金曜日からスタートしました
その週の昼練に行くとレオジーニョから『お前のドウギサイズなんだ?』って聞かれました
どうやらこの時期サンパウロのBRASAに練習に来ていたヘイナルド・ヒベイロがペナ級で出たいけど、体重がやばいのでA1のドウギを貸して欲しいってことだったみたいです
結局、ヘイナルドは減量諦めてライト級で出場してました。そして、決勝まで勝ち進んでいました
一階級あげてもさすがだなー強いなーと思っていました
反対サイドからはまだ黒帯になりたてのルーカス・レプリが上がって来ていました
ルーカスとはTT道場時代一緒に練習してました
ミナス・ジェライス州という他の州から試合が近くなると泊まり込みで練習に来ていました
TT柔術が分裂した時、ルーカスはコブリーニャについて行ったのでこの時の所属はアリアンシでした
ルーカスは2002年のムンジアルで青フェザーで準優勝、2003年は紫ライトでルーカス・レイチに負けて準優勝でした
茶帯時代もいいところまで行くけど、優勝はできないって感じの選手でした
ブラジル人は陽気な人が多いですが、ルーカスは普段も物静かで落ち着いていました
その物静かな感じが試合でも出て優勝できないのかなーと思っていました
決勝でもベテランのヘイナルドが相手なので、こりゃ厳しかなーと思っていましたが、いざ試合が始まるとルーカスがヘイナルドを完封して優勝しました
ルーカスの初の世界タイトルだったはずです
昔、一緒に道場に寝泊まりして練習した仲間が勝ったので嬉しかったです
ルーカスとは同じ道場で同じ時間に練習してましたが、スパーした記憶がほとんどありません
TT柔術は昼の選手練は20名以上人がいるし、当時紫ライト級のルーカスと青帯プルーマ級の私がスパーする機会はほぼありませんでした
ルーカスは口数も少ないので、あまり話をした記憶もありません
唯一、ルーカスとの思い出で覚えているのは、道場に住み込みで練習していた内弟子たちは、道場の上にあるテレレのアパートでご飯を食べていました
昼練が終わった3時くらいに昼飯を食べ、夜練が始まる7時前くらいに、パンとか食べるのが恒例になっていました
その日、私は夜練前に腹ごしらしようとキッチンに行くと鍋の中に最後の一本、ホットドック用のソーセージが残っていました
これはチャンス!誰か来る前にいただきー!と最後の一本をホットドックにして食べてしまいました
食べ終わってキッチンを出ようとしたとき、ルーカスが入ってきました
ルーカスは空っぽの鍋を見て、「ワカ、ソーセージ食べただろう?」と聞いていました
もちろん私は「食べてないよ!」とバレバレの嘘をつきましたw
ルーカスは明らかに疑惑の目で私を見てきましたw
そんな感じでソーセージ一本で喧嘩するような貧しい時代でした
そんなルーカスも今ではライト級の絶対王者ですね
ブラジリアン柔術 ルーカス・レプリ
9月30日から2日間、香港でルーカス・レプリのキャンプが開催されます
ブラジリアン柔術 ルーカス・レプリ
私も参加させていただきます
ルーカスあの時はホットドック食べちゃってごめん、、、
再会した時、ホットドック奢るわw

チアゴ・バホスと4度目の対戦

翌日の土曜日は私の紫帯の試合が行われました
プルーマ級は20名以上のエントリーがありました
やはりアメリカのムンジアルに参加できない人が多いのでブラジル全土からこの大会にエントリーした人が多かったと思います
メンデス兄弟も同じカテゴリーにエントリーしていました
そしてトーナメント表が3日くらい前にネットで発表されてみると、私の相手はバルボーザ道場のチアゴ・バホスでした
マジかよ?って感じでした
奴とは青帯時代に2回戦って私が2勝していますが、今年3月のサンパウロ州選手権では決勝でパスガードされて負けています
通算成績では勝ち越していますが、対戦するたびに強くなって来ている感じがしていました
正直、やりたくないなーと思っていました
20人以上いるトーナメントでなんでまたチアゴ・バホスとやらないといけないんだよーって感じでした
せめて、一回戦は他の人、他の州から来ている選手とやらせてくれよーと思っていました
まあ、そんなこと言っても仕方ないので、どうすればチアゴ・バホスに勝てるかを考えました
前回の負けを生かして、普通に引き込むとバルボーザ道場の得意な強烈な脇差しパスをされてしまうので、なんとか脇差しの状態に持って行かせないでスイープしたいと考えました
テイクダウンして上を取りたいけど、バルボーザ道場の選手は立ちも強いので無理です
そこで私の考えた作戦は、スタンドから引き込むと同時にキス・オブ・ザ・ドラゴンでバックを取るという作戦でした
当時はキス・オブ・ザ・ドラゴンという名前もなかったし、リバース・デラヒーバという名前もなかったので、スパイラルガードからバックへ抜ける技と呼んでいましたw
スパイラルガードにするためにはスタンドから組手を普段とは逆の左組みにしないといけません
左組みで引き込んで一気に相手の股の間を抜けるイメージを何回も繰り返しました
そして、試合が始まりイメージ通り、股の間をくぐって両手で相手の両足首を掴むところまでいけました
あまりにうまくいきすぎて自分でもびっくりしてしまいましたw
そして場所があまり良くなくて、走って場外に逃げられスタンドバックのような状態になってしまい、両足をフックして4P取るところまでいけませんでした
アドバンテージのみもらい、再び、中央からスタンドで再開になりました
頭の中が真っ白でした
さすがに同じ手を2回も通用しません
普通に引き込んだところ、脇差しパスでパスガードされて、3ヶ月前と全く同じ展開で負けました
続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です